2月17日(金)、第21回となる経営者朝会を開催せていただきました。今回の会場となったマリオットホテルは、東京・御殿山にあります。御殿山は太田道灌が江戸城に入る前に城を構えて居住していたところ。御殿山城といい、のちに品川御殿と呼ばれ、歴代将軍が鷹狩の休憩所として使われ、桜の名所でもありました。
そうした歴史の趣深い場所に、ユネスコから日本の産業革命発祥の地として指定された岩手県釜石市からお二方、いらっしゃいました。君が洞剛一さんと黍原豊さんです。
今回の朝会は、「被災地のソーシャルビジネスの今」をテーマといたしました。
東日本大震災から6年がたとうとしています。復興への取り組みは進んでいるとはいえ、まだ道半ばの感あり。未曾有の被害を受ける以前から、釜石市は少子高齢化、人口減少が顕著な地域でした。そんな厳しい環境でも希望を失わず、立ち上がる若手事業者2人からビジネスとコニュニティの将来像を聴き、私たちが挑むべき課題を共有し、どのように協働していくかを議論しました。今回も大変多くの方にお越しいただきました。誠にありがとうございました。
2001年大学卒業後、百貨店に勤務、2007年父が創業した釜石市「泳ぐホタテ」ブランドの海産物通信販売の家業を継ぐべくヤマキイチ商店に入社。同社は全国に約4万人の顧客を持っていたが、2011年の東日本大震災で事務所や作業場が被災。2012年7月には出荷を再開し、現在出荷待ちホタテガイを常時1万枚以上持ち、百貨店、飲食店との取引も強化している。厳選した三陸のホタテガイを高値で仕入れることでやる気のある漁師を支え、お客様には最高品質の活きホタテを届ける。
http://www.yamakiichi.com/
岩手大学農学部卒業後、NPO法人岩手子ども環境研究所(森と風のがっこう、葛巻町)、岩手県立児童館いわて子どもの森にて、自然エネルギー教育、環境教育、子どもの居場所づくり、子ども支援者の育成研修などに携わる。2013年から釜石市復興支援員(釜援隊)として復興まちづくりに携わる中で、地域固有の文化再生と継続的な子ども支援の必要性を実感し、2015年4月に三陸駒舎を設立。
http://kamakoma.org
今年で創業28年となるヤマキイチ商店の君ヶ洞さんは、現在の取り組みと今後のビジョンについて、震災の経験を交えてお話されました。
通信販売を主とし、日本のみならず、香港など世界に4万人の顧客を持つヤマキイチ商店は、少数精鋭9名の従業員によって運営されています。厳選されたホタテを、「日本一高い値段」で仕入れ、「日本一高い値段」で販売しています。そんなヤマキイチ商店は2011年3月11日、東日本大震災に伴う津波の被害にあいました。沿岸部にあるヤマキイチ商店の工場が波に飲み込まれる瞬間、もちろんいい気持ちはしなかったと前置きをした上で、君ヶ洞さんはこう感じたといいます。「新しい仕組みをつくれるチャンスが来た」。また、「悲壮感はなかった。2年くらいは仕事ができなくても仕方がない。勉強期間だと思った」、と。
復旧と復興を通じて、世界中の人々からたくさんの援助をいただき、本物の愛情に触れることができたとおっしゃいます。「同じような災害がどこかで起きたら、今度は私たちが助けに行こうと思っています。震災時あれだけのことをしていただけたことに、そして、人としての深い部分の愛情を感じることができたことに、本当に感謝している。仕事を通じて恩返しをしたい」と意を新たにします。
君ヶ洞さんが掲げるMISSIONは、「三陸の海産物を世界の食卓に提供し、美味しさと心を満足させるお手伝いをする」「第一次産業の所得を増やす仕組みを作る」です。そのために、お客さま、地域社会、自分たちの「三方良し」の仕組みを作り、高品質な海産物を安定供給し、三陸本来のブランドを提供することを目指しています。その提供の仕方は、第6次産業化したものではなく、各界のプロが、各分野で最大のパフォーマンスを出し、それが掛け算されて世の中に提供され、結果的に世の中に最大の価値を提供できるような仕組みが良いと考えています。
選択と集中。君ケ洞さんはホタテに一点集中して、最高のパフォーマンスを出したいとおっしゃいます。なぜならば、高級食材に関して海外でのビジネスはブルーオーシャンだから。良いものが世界にまだまだ広がっておらず、入り込む余地がたくさんある。現在、香港の飲食店との取引が始まったばかり。年間約400万円とまだ少額ながら、香港でも評判になっています。さらに台湾、シンガポール、マレーシア、ハワイなど取引先を横に広げることを計画しています
最後に、NEXT KAMAISHIプロジェクトについてお話しされました。このNEXT KAMAISHIは2012年5月20日に設立されたもので、地元の若者が月2回50名程度で定期会を開きながら、「地域社会に価値を作り出す」ことを目指して活動しています。これまでに、地域の祭り「よいさ」や橋の上で朝市を開く「橋上朝市」を復活させてきました。「人の集う気持ち」「地域が大事にしていたもの」を再現することによって、社会に価値を提供しています。これからも、地元にいる人が価値を感じられるような地域にするため、「人のご縁」を大切にし、協力しながら、地方を支えていきたい、日本の新しい形をつくっていきたいと、締めくくられました。
「私は馬2頭と一緒に暮らしています」、という軽く意表を突く言葉からプレゼンテーションが始まりました。
黍原さんは、馬の力を借りて子どもたちの心と身体をケアする「三陸駒舎」を釜石で経営しています。しかし、黍原さんの出身は岩手ではなく、愛知県の出身。大学進学を機会に岩手へ移り住み、震災後は奥さんの生まれ故郷である釜石にやってきました。それまで児童図書館などに勤められていた黍原さんは、釜石の子どもたちがストレスを抱えていることに、とても憂えていました。仮設住宅は音が響くため、気を使いながら暮らさなければいけないし、仮設住宅が空き地などに建てられたため、子どもたちがのびのび遊べる場所がありません。そこには、自分の感情を素直に表現できないでいる子どもたちの姿がありました。
「震災からもうすぐ6年が経とうとしていますが、沿岸地域の子どもたちおよそ2万4000人のうち、ケアの必要な子どもは約3300人と、7人に1人がケアの必要な状態です」、と具体的な数字を示し、地域の子どもたちが深刻な状況にあることを訴えました。
このような問題意識を抱えていた黍原さんは、全国で教育的な馬のふれあいを行っている方と出会い、馬を東北に連れてきて子どもたちと触れ合うイベントを2014年5月に開催。そこで、黍原さんが発見したのが、馬と触れ合うことで自然と子どもたちが元気になる様子でした。「私は子どもにかかわる専門家としてやってきたが、馬には負けてしまった」と、その時の状況について冗談を交えて表現していらっしゃいました。馬と触れあうことでセラピー効果があるだけではなく、
①運動機能の向上
②自己有用観・主体性の向上
③コミュニケーション能力の向上
などの効果があるそうです。
さらに、黍原さんが馬とかかわることを後押ししたのは、かつて地域が馬と一緒に暮らしていた地域文化があったことです。馬と一緒に地域を回っていると、地元の方が非常に懐かしがって、馬と地域の親和性を感じたそうです。馬がこの地に来たら、地域の文化が再生するのではないのか、と黍原さんは可能性を感じ、馬を通じて子どもたちのケアをしながら、地域の文化を次の世代に伝えていくことを決心しました。
最初は会社を置く拠点が見つからず、プロジェクトはまったく進みませんでした。ようやく探し出した曲家(母屋と馬小屋が直角にくっついている)は、絶句するほどの荒れた家。しかし、ここの再生をSNSで呼びかけたら、それに応じたり口コミでやってきた延べ800人以上の助けがあり、古民家は無事に再生。2016年の4月には馬がやって来ることができました。
現在では、月1回親子向けのイベントを行い、障害を持った子供向けにもイベントを行っています。馬と子供のおかげで、周りの大人もいい表情になり、平和な空間が生まれていることを実感していると、黍原さんは穏やかな表情でおっしゃいました。
黍原さんはこのプロジェクトの可能性を5点示されました。
①子どもたちのケア・地域のコミュニケーションを通じた次世代の育成
②地域文化を再生し、地域の誇りを取り戻す
③多様なテーマ(復興ボランティア、古民家再生、馬、子どもの福祉など)を通じて多様な人々の交流を生み出す。
④エコツーリズム・ヘルスツーリズム
⑤コミュニティビジネスとして、地域に雇用を作る。
質疑応答では、「学校と連携して修学旅行にホースセラピーを組むのはどうか」「ホースセラピーの科学的な根拠はあるのか」「学生のインターン受け入れを行ったらどうか」などといった意見がだされ、会場は盛り上がりました。